歌とみちづれ
もう40年も前の夏、京都府網野町に下宿して国語教師をしている友人を数人で訪ねたことがあります。海に続く道に、家々から聞こえる音が、機を織る音であることを知らされました。20代のはじめ、事務職に就いていた私は、教職に転じようかどうかと迷っていました。今はもう、あの道に機の音は聞こえてこないかも知れませんが、青春の不器用な選択を励ます音は、私の胸から消えることはありません。
将来のこと語りつつ海に行く道 家ごとに機の音して
地域の座談会。参加者の心が一つになった活気あふれる座談会でした。世話係の一人として、充実感をいだいてあるいて帰っていると、ちょうど夏の夕方近く、道端に、鴉が2羽、何をするともなく、夕日を浴びているのです。仲良く、まるで、鴉も座談会をしているように。いつもは黒く群れるか、1羽だけ、人間とは即かず離れず、いる鳥なのに…
座談会こころふくらみ帰るみち二羽の鴉が夕日にあそぶ
”風立ちぬ いざ生きめやも” と、堀辰雄は小説にうたいました。最近では「千の風になって」が、人々に”ああ、そういうことなのか”という思いを呼びおこしているようです。ほんとうに、風には、人を恋しく思わせたり、魂に生気を吹き込んだりする働きがありますね。ある日思いついたように書き出した日記。汗いっぱいの夏は、風の涼しさを知る季節。この日をとどめたくて。
風のなか人は佇み人は待つ…夏の日記の第一ページ
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